手術までの経過

 手術までの3週間は、お盆が入ったこともあって、バタバタと過ぎていった。実家に帰省したが、病気のことは父には報告しなかった。子供の頃からのあれこれで、父との間には確執があったが、母が亡くなってからはそれも薄まってきていて…でも、言えなかった。母ががんで亡くなり、娘もがん、となったら、絶対泣かれるだろうし、下手したら心臓止まっちゃうよ、と思った。それに、言ったところで、状況が変わるわけでもないし、手術してからじゃないと病状も不確定だし。無駄に心配させることはない、と思った。

 また、お盆直前に急に姉から電話が来て、8年振りに帰省していった。姉には話そうかだいぶ待ったが、言わないことにした。だって、当てにしてないし(笑)。お盆も正月も、母の命日にさえ、電話の一つも寄こさない。他人より遠いよ。ただ、「病院で治療しなきゃいけないから、保証人よろしく。何かあったら連絡行くから」とだけは話した。

 仕事もそこそこ忙しく、重い案件が続いていたが、淡々と残業、休日出勤をこなしていた。なんでこのタイミングで、この案件が来るんだろう…と思いつつ。そして、手でぐっと掴めるところにがんがあるのも、なんとも言えない怖さがあった。これが、がん。その頃は、夜になるとよく泣いていた。煙草は吸わない、酒もそんなに飲まず、月に数回、二日酔いしない程度に飲む程度。暴食・偏食でもない。なのになぜ、なぜよりによっておっぱいなの?って。友人の中には、「突起物で良かったじゃん」っていう人もいた。独身で、胸を失う辛さ・・・わかってはもらえないのかも。

 ちょうど周囲は結婚や出産のおめでたラッシュで、A病院の対応などもあり、すごく惨めな気持ちになっていた。ただでさえ、親戚からは「結婚しないなんて、頭おかしい」と非国民扱いされ、職場でも結婚しないことを非難されたり、馬鹿にされることがあって、苦しくなっていた。手術は全身麻酔で行うが、10万分の1ぐらいの確率で、事故で無くなる人がいるらしい。私は本気で、目が覚めなければいいのに、と思った。生きたいのに生きられない人もいる中で、お叱りを受けるかもしれない。でも、私には私の事情があるのだ。

 それでも、無事に麻酔から覚めたら、こうして掴めるがんが綺麗にとり除けたら…1から人生をやり直そう、と思った。夢は、諦めてきた。大学受験直前で、親が急に「女は勉強するな」と言い出し、進学も就職もできない状況になった。それでも、勉強してそこそこ高倍率の試験をパスして就職して、仕事しながら、時間はかかったけど大学を卒業した。なんだかんだ言いつつ、無年金の親が心配で、地元に残っていた。でも、生き残れたら、残りの人生はやりたかったことをしてもいいかな、って。