再発じゃなかった②

    やはり、色々考えた。健康的な生活してないな、とか、睡眠時間は相変わらず短いな、とか、夢の実現につながること、ワクワクするようなこと、してないな、と。再発してたらどうする?遠隔転移が見つかったら?あと5年の命だったら?そして、再発してなかったら???

 ま~、お金の問題はどうにもならないのだけれど(笑)。でも、いくつか決めたのは、「夢に関係ないストレスは溜めない!」ということ、「近いうち、海外旅行に行く!」こと、そして、日々の生活の中でも、時々楽しいことをすること。一人カラオケとか、近場の小旅行とか。そして、仕事も私生活も、面白そう!と思ったことは、体力・気力がある範囲で、何でもやってみようと思う。せっかく、ず~っと辞められなかった仕事を辞めて、一人都会にいるのだし、どうせならやってみよう。これは自分は門前払いされるかな、というような仕事も、どうせダメなんだから、あれこれ心配しないで応募してみよう。そんなことを繰り返しているうちに、「挑戦グセ」がつくといいな。もし遠隔転移していても、すぐには死なないし、そんなに長生きしたいわけじゃないし、むしろ老後資金の心配せずに済むよ?なんて思ったり。

 もちろん、現実的なことも考えていた。局所再発だったら、次は全摘。手術は仕事が落ち着く12月後半かな、仕事は1週間ほど休むことになるかな、正月は帰省できるかな、などなど。片方全摘したら、ブラはどうするんだろう、とか、就職面接の時は病気の話しなきゃいけないのかな…とか。でも、ある時、吹っ切れた。うだうだ考えても仕方ない!まずは病院!予約がすぐには取れず、ようやく今、受診できた。

 

再発じゃなかった①

   しばらくの間、ブログを書くことができなかった。術後3年を経過して、手術した部分の近くに、しこりとくぼみを見つけたから。でも、病院で先生に診てもらったら、再発じゃなかった!ほっとした。

 夏の間、なんだか胸のあちこちにチリチリ、ジリジリするような痛みがあって、ずっと気になっていた。でも、乳がんなら両胸がジリジリするなんてないし、ホルモンバランスとか、夏で体調崩しているとか、生理周期とか、色々あるんだろうな~、乳がんが分かる前と似てるけど、違うよね…と思っていた。

 さらに、乳がんになってからの3年は、ありえないことが連続していた。色々あり過ぎて、仕事を辞めて引っ越し、ようやく心身ともに落ち着いて、新しい人生をスタートしよう、というところで、着替えている最中、手術の傷の近くに、くぼみを見つけた。

 あれ?前からあったっけ?今まで、手術の傷はまだ感覚がなく、押すと痛いので、ちゃんと触ったことがなかったので、おそるおそる触ってみた。うん、何かある。傷から横に延びる感じの、細長い何か。そんなに固くはないけど、ぽこんとしたのがある分、その上がちょっとくぼむ感じ。・・・なんか、くぼむって、嫌な感じ。

 少し前、ピンキーリングを失くした。手術と放射線治療が終わった頃、「生きな直すぞ。」と誓って、ちょっと奮発して買った、ちっちゃいけどダイヤのピンキーリング。この3年間を一緒に過ごしてきた、お気に入りだったので、ちょっとショックだった。実は、乳がんが分かった3年前も、当時のお気に入りのピンキーリングを失くしていた。最初にエコーで「何かある」と言われ、けど同僚が入院したので、生検の予約を入れられずにいる時で、ピンキーリングは失くしていたので、「これは病気のサインか、それとも、新しい人生が始まるサインか」と思っていた。

放射線治療後③、そして年末年始

    かさぷたや脱皮(笑)と闘っているうちに、お正月に突入。例年どおり実家に帰ったけれど、年が暮れていくのも、新しい年を迎えるのも、特別な気持ちで過ごした。

 放射線治療の火傷症状はまだ残っているけれど、入院したり、毎日通院したりの大きな治療はひととおり終わって、穏やかに新しい年を迎えられることに感謝した。夏の初めにがんと診断された頃は、そして、「ステージ4かもしれない」と言われた頃は、一通り治療を終えた状態で、さらに、傍から見ればいつもと変わらない状態でお正月を迎えられるとは、思っていなかった。実際には、精神的ダメージは相当に大きかったし、手術したほうの胸は半分の大きさになって、大きな傷ができて痛いし、脱皮中だし(笑)。どうしてがんになったのか、どうして運良く良い先生に巡り合えたのか、これから何をすべきなのか・・・まだやるべきことが残っていて、生かされているんだろう、治療が落ち着いたら、それをしっかり考えなければ、と、決意を新たにした。

 実家の風呂は物置状態になっているので、脱皮も落ち着いてきたし、思い切って温泉に行ってみた。手術の前は、「手術したら銭湯に行けない!」などと思っていたけれど、ひと山超えたせいか気持ちが大きくなり(?)、傷を見られたって、どうってことないや、と思うようになっていた。それは、先生の腕によるところも大きいと思う。Dカップが半分になるほど切ったけれど、陥没したり、すこし離れて見ればいびつさがあるわけでもなかった。大きな傷があって、よく見れば左右の大きさは違うし、脱皮でまだら模様になっているけれど、湯気が立ち込める中、人の胸を間近でじろじろ見る人もいないし。むしろ、誰かに「手術したの?」って聞かれたら、「そうです。乳がんです。でも、早く発見できて、ちゃんとしたお医者さんに手術してもらえば、ダメージ少なく済みますよ。」って話そうと思っていた。

 実際は、やはりジロジロ見られないし、気づいた人がいたとしても、誰にも何も言われなかった。温泉に入るのは久しぶりで、ゆっくり浸かりたかったけれど、広範囲のかさぷたは気になったので、軽めにすませ、特に沁みたりすることなく無事に温泉から上がった。

 治療が終わってから、かさぷたが落ち着くまでは、1か月くらいかかったと思う。放射線科の先生が言うように、皮膚の状態は徐々に元に戻ったけれど、日焼けのような皮膚の黒さはうっすら残り、3年近くたった今でも、そのまま。そして、ほくろが増えた気がするなぁ。そして、やはり、夏でも右胸だけは汗をかかず、さらっさらのままです(笑)。

放射線治療後②

    かさぷたまでいかない部分は、自然と表面の皮が剥がれてきた。下に新しい皮膚ができて、古い皮膚が剥がれ落ちるような、なんだか、部分的に脱皮している気分(笑)。本当に、全てがまるっと、衝撃なことに、乳首までもが一皮むけた。

 剥けている最中は、見ていて少し怖いような、おかしいような、不思議な気持ち。それまで大きな病気、手術をしたことがなかったので、あー、人間の体って、こんな風に皮剥けて再生していくんだ、っていうのと、こんなボロボロの状態、人に見せられないぞ、という気持ちと、やっぱり少し、悲しい気持ち。

 下から出てきた新しい皮膚は、まだ少し赤かったり、かさぷたが残っていたりで、状態が落ち着いたときにどうなるのか、少し不安だった。先生は、時間が経てば、日に焼けたように少し色が残る程度で、あとは元に戻ると言っていたけれど。あまり触ってはいけない、と言われていたので、マジックのカスみたいなものが取り切れなくって、ごく一部、皮膚と同化しちゃったところも…。

 

放射線治療後①

 解放感に浸ったのも束の間、病院で予言されたとおり、皮膚の状態は、放射線照射が終わってからが一番辛かった。世の中がクリスマスで華やいでいる中、人知れず「いててて・・・」とつぶやく日々。放射線を照射した部分、つまりは右胸全体から腋の下にかけてが、赤く熱をもってヒリヒリ、ジリジリする。日焼けのように、少し皮膚全体が黒くなっているきもする。手術で切ったり縫合した部分は、元々感覚がなくなっていたので、皮膚表面の感覚が、敏感になっているのか鈍感になっているのかもよくわからない。皮膚が強く引っ張られないように、大きく腕を動かさないように、そして物が強く当たらないように、気を付けながら過ごした。それでも、痛みは仕事が手につかなるほどひどいわけではなかった。

 数日経つと、皮膚表面のヒリヒリ、ジリジリは治まり、かさぷたのようになってきた。それはそれで、腕を伸ばしたりすると、皮膚が引っ張られてかさぷたが「ぴっ」と裂けて、びくっとする痛さ。数日間は、人知れず悶絶(笑)。心の中では「んもー!」と思いながら、自分でも笑ってしまった。

 

放射線治療の途中経過③

    治療も終盤に差し掛かると、患部の赤みは強くなって、ヒリヒリ感が強くなっていた。それでもまだ、仕事にも支障が出ない程度。軟膏で痛みが少し和らいでもいた。この辺りには、「私のおっぱい、どうなっちゃうんだろう。。。」と心配になっていた。いずれは、皮膚の状態もある程度はもとに戻ると思っていたけれど、何しろその時は、マジックのインクが皮膚に染みて滲んで広がってるし(涙)、皮膚は軽いやけど状態だし、軟膏でどろどろだし。。。治療後はだるさが強い気がするけど、それでも残業やら休日出勤やらは続いていて。ひとまず、早くこの治療が終わってほしい、そんな気持ちだった。

 ちょうど、放射線治療最終日は、私の誕生日だった。その日は1日休暇を取り、最後の治療に向かった。さすがに5週間も通うと、すこし淋しさが湧く。

 放射線照射が終わった後、最後の注意事項が。「治療が終わった後に、火傷の症状が強く出ます。処方してもらった薬を塗って、痛みがひどければ、先生の診察を受けてくださいね。」ふむふむ。そうか、時間差でくるのか。しょうがない。「シャワーするとき、触らないでくださいね。皮膚の表面がべろっといきますから。」なーにー!そんな状態だったの、もっと早くから教えて欲しかった…(涙)。最後に、技師さん達にもお礼を言ってNASAもどきの部屋を出た。これだけおっぱいに書かれること、もうないだろう(笑)。いや、ないことを祈る。

 治療も治療費の精算も済ませ、「わーーーい!」。今日から自由だ!久しぶりに、午後から映画を見に行った。映画の帰りは、めったに買わないケーキと、スパークリングワインを買って帰宅。クリスマスも近いので、ショートケーキを買うのはいかにも「一人で寂しくクリスマス祝います」って感じがするのがいやで、これまで避けてきたんだけれど、今はコンビニスイーツという味方がいる!そして何より、がんは取り切れて、5週間の通院も終わった。なんとか40歳を迎えられた。これが祝わずにいられるか!

放射線治療の途中経過②

 治療中は、週に1回、先生の診察があった。4週目に入ったあたりだったか、診察の際に、先生から「あ~、少し赤みが出てきてますね。塗り薬出しておきますね。」と。その頃からは体感的にも、患部が常に熱を持った感じがしていたが、まだ痛いというほどではなかった。薬は、火傷のときなんかに出される、青い半透明の軟膏。温度が低いと固めで、体温ぐらいになるとてろっとする、ニオイもそんなに強くないヤツ。軟膏をマジックの上から塗るのは抵抗があったけど、ま、仕方ない。軟膏とマジックとシルクスカーフが貼りつく感じが気持ち悪くて、熱感や痛みより断然気になった。多く塗り過ぎると、服にも染み出してきちゃうし、加減が難しかった。

 そして、やはりこの頃から、体のだるさが気になるようになっていた。ちょうどお昼が掛かる時間帯だったので、だるさが放射線治療のせいなのか、昼食後の眠気・だるさなのか、区別がつかない。でも、だるさは日に日に強くなっている気がした。先生は、放射線治療とだるさには、医学的には関連性がない、と言っていたけれど、実際治療を受けた身としては、全く無関係ではないのでは?と思う。だって。放射線で細胞を殺す、がん細胞は死滅するけど、正常な細胞は再生する…ってことは、正常な細胞を修復するためにエネルギー使ってるってことだもの。治療が終わって昼食を取った後は、車や自宅で一休みしてから、職場に戻っていた。通院のため、職場の近くに駐車場を借りていたので、車で休みながら、「早く治療が終わればいいな。そしたら、今見ている駐車場の景色も、『治療中はだるかったな~』なんて思い出したりするのかな。」なんて思っていた。