放射線治療の途中経過①

 最初の3、4日は、大きな変化もなく過ぎていった。放射線を当てた部分は、見た目は特に変わりなく、触ると、少し熱を持ってきたかな?という程度。あぁ。機械からは光も熱も出ていなくても、本当に放射線は出ているんだ、と実感した。

 1週間、10日と経つうちに、少しずつ、皮膚に赤みが出てきたので、保冷剤で冷やすことにした。100円ショップで、ケーキやお弁当に使う保冷剤を購入。といっても、凍らせるのでは冷え過ぎだし、職場や通院中の保管も困る。幸い冬で寒く、車の中は冷蔵庫と同じような状態だったので、車の中に保冷剤を置いておいて、治療が終わったら、布でくるんだ保冷剤をブラとシルクエプロンの間に挟んで右胸を冷やし、仕事に行く時間にそれを外す、というやり方にした。ただ、効果はそんなになかった気もする…。

 不便だったのは、お風呂。体を洗う時、右胸のあたりは泡を乗せる程度にした。それでもマジックは所々消えたり薄くなってしまい、治療の際に、しょっちゅう技師さんが重ね書きをしていた。おっぱいに、黒や赤の太い線で〇やら×やらたくさん書かれると、やっぱり悲しい…。知らない人が見たら(そんなシチュエーションないけど)、これはなんだ?って思うだろうな。

 そして、このマジックが、肌とブラの間に挟んだシルクエプロンに色移りしてしまい、これまた不便だった。その意味でも、シルクスカーフも準備して、良かったと思う。

放射線治療開始

 翌週から、いよいよ放射線治療が始まった。お昼前の時間で固定で予約を入れ、時間休をとり、平日毎日、25回連続して通うこととなる。

 それまでは、抗がん剤治療もなく、手術も2泊3日で済み、仕事も普通にしていたので、あまり「患者」という感覚がなかったのだけれど、放射線治療は始まって、「ああ、本当に、がん患者なんだな」と思った。

 総合受付で受付をし、放射線科で受付カードを出して、治療の順番が来るのを待つ。名前を呼ばれたら、治療室に移動。治療室は、病院の地下の、一番端っこにあった。古い病院だけれど、そこだけは真新しく、人もほとんどいない。最新エリアの前に長椅子が置いてあり、そこでまた、名前を呼ばれるまで待つ。最新エリアから患者さんらしき女性が一人出てくると同時に、名前を呼ばれ、中に通された。緊張しながら治療室の中に進むと、人が寝られるような台と、何やら最新の機械がある。なんか、NASAみたい。NASAは見たことはないけれど、そう思った。放射線技師さん?は3人いた。

 先日作った器具は、放射線を当てる右乳房部分が丸くくり抜いてある。初回ということもあり、一度位置を固定して確認し、くり抜いてある部分をなぞるように、胸にマジックで印がつけられていく。ほかにも、黒やら赤やらで胸にたくさんの印をつけられ、なんだか微妙な気分だった。もちろん、治療のためなので仕方がないのはわかっているけれど。しかし、この科学が進んだ世の中で、普通のマジックで書くんだなぁ、というのも、少し不思議だった。

 印をつけ終わると、いよいよ治療開始。私は台に固定され、技師さんたち3人は別室に移動。スピーカーから「始めます」とアナウンスが聞こえた後、機械が私の周りを回りだした。光が出るわけでも、熱くなるわけでもない。機械が私の右脇から左脇まで半周するのに、30秒もかからないぐらい。終わると、技師さんたちがやってきて、固定器具を外してくれた。最後に、お風呂に入るときは擦らないように、マジックの印を消さないようにという注意事項を聞いて、治療はこれで終了。服を着て、帰る。これを25回、繰り返すのだ。放射線を当てた右胸も、特に変化はない。本当に放射線が出てるの?と思ってしまった。病院の食堂で昼ご飯を食べて、職場に戻った。体調は、その日は変化なし。だるくなることもなく、「全然大丈夫そう!」と思った。

放射線治療の準備

11月の始め、B病院の放射線科を受診。ほかの科は人が溢れているけれど、放射線科の前は、あまり人がいない。ま、そうだよね。元気そうな女性が数人、談笑しながら座っていて、「同じ病気の先輩かな?」と思った。

 どんな治療になるのか、何をするのかまったく想像がつかず、緊張しながら待ち、最後に呼ばれて診察室へ。

 先生はX病院からの情報を見つつ、病気と体の現状について話をした。そして、これkらの治療方法について、説明してくれた。

 放射線治療は25回、土日祝日を除いて毎日同じ時間に通い、手術をした右胸に放射線を照射することになる。治療中は、照射部分以外に大きな副作用はないが、だるさを感じる人もいるので、十分休養をとること、照射部分をこすったり触ったりしないこと、治療が進んでくると、やけどと同じような症状が出てくるので、必要に応じて薬を出してもらえること、治療終了後1年間は「放射線肺臓炎」に係る場合があること、などの説明があった。

 明るくフレンドリーな感じの先生で、「照射した部分は、汗をかかなくなります。夏でも、この部分はさらっさらです」というので、笑ってしまった。

 初回の今回は、放射線を当てる箇所を確定するためにCTをとり、治療に必要な器具を作るという。CTはわかるけど、器具・・・想像つかない。

 想像通り、CTは淡々と終了。「器具」は、体を固定するためのプラスチックの型を作った。型は50㎝四方、厚さ5ミリ程度のプラスチック板を使っていた。これを温めて柔らかくして、台の上に寝ておっぱいが広がった状態(笑)の体の上からぎゅーっと押し当て、型を取る。少し熱くて、なんだか不思議な感触。少し冷めるまで、そのまま我慢。どんなものが出来上がり、どんなふうに使うのか、この時点でも???でした。

 最後に看護師さんから、「シルクのエプロンは持ってますか?持ってなかったら、病院の売店で購入してください。使い方はわかりますか?」もちろん、わからないです~(笑)。

昔病院に勤めていた知人から、「昔は乳がん放射線治療で、シルクのハンカチ使ってたよ。使い方はわからないんだけど…。放射線当てるときにとかうのかなぁ」なんて聞いていたけど、今はエプロンなの?どうやって使うの??そこは、看護師さんが丁寧に教えてくれた。エプロンは、下着の下に、つまり素肌に直接、身に着ける。乳がん放射線治療では、①皮膚がやけどのようになるので、皮膚を保護するため②器具装着のために皮膚にマジックで印を書くので、それが消えないようにするため、シルクのエプロンを間に挟んで下着との摩擦を減らして皮膚を保護するため、シルクのエプロンを間に挟んで下着との摩擦を減らすんだそう。へぇ~。

 帰りに、病院の売店でシルクのエプロンを購入した。シルクと言っても、ふわふわテカテカしたものでなく(そんなイメージ私だけ?)、表面が滑らかな綿のような感じで、サイズは小さめ。素肌にエプロンといってもセクシーな感じではなく(笑)、むしろ、金太郎の前掛けみたいで、笑ってしまった。首の後ろと腰の後ろでひもを結ぶので、首部分は服から外にはみ出るし、腰回りがごわつく。しかも、黒いエプロンなので、色が薄い服だと透けでしまう。そして、これ1枚を1か月半付けっぱなしにでもできない。というわけで、ネットで大きめのシルクのスカーフを購入し、ローテーションで回すことにした。

 

手術後1か月の診察

 1か月経過の診察。まずは先生に、「なんか、傷から茶色い液体が出てきたんですけど…。ニオイもする気がするんですけど…」。診察台に横になり、傷を診察する。先生が「あ~。内側の糸が見えてますね。抜きますね。」と言いながら、手早くピンセットなどを準備している。珍しく、動揺しているように見える(笑)。傷口を軽くぐいぐい、ちょんちょんとして終了。多分、ピンセットで中の糸を引っ張って抜いたんだろう。後で知人から聞いたら、内側を縫う「溶ける糸」は頑丈で、傷からぴょこんと出ることがあるのだそう。良かった、腐敗とか神経出てきたとかじゃなくて。そしてまた、軽くテープを貼って終了。

 摘出した腫瘍の組織検査の結果も出ていた。腫瘍は大きいところで5㎝近くになっていたが、リンパ節転移もなかったので、ステージ2aで確定。Ki67は15%、ER陽性、PR陽性、HER2陰性でルミナルA。今後の治療は、化学療法はなし、地元のB病院で25回の放射線照射を行い、その後、このX病院でホルモン療法をすることになった。化学療法なし、でほっとした。

 B病院への紹介状と診療情報提供書?を出してもらい、診察は終了。抗ホルモン剤は、ノルバデックスをまずは1か月分処方してもらい、様子を見ることになった。

手術の傷の治り具合

 胸の内側の痛みは、少しずつ、少しずつ、薄くなっていた。代わりに、表面の傷が痛くなっている気がした。でも、テープを無理に剥がすのは怖い。

 傷の痛みはちょっとずつ強くなっている気がしていたが。術後1か月の診察の数日前になったら、なんだかテープに茶色い体液が沁みだして、ニオイもしてきた…。思い切って、テープを少しめくってみた。ぎゃー!なんか汁が出てる…。よく見ると、傷は閉じているんだけれど、傷の始まり部分にぽちっと小さな穴が開いて、液体が溢れてきている。さらによく見ると、穴の奥に、白いものが見える…。怖くて、静かにテープをもとに戻した。開けたふたを閉じるように。見なかったことにしよう(笑)。すぐに診察だし。異臭がひどくならないか、だけは気を付けた。

 腋の下と右胸の腫れは、少しずつ引いていって、これもほっとした。テープを貼っているから全体像が分からないけれど、手術直後よりはいびつさが軽減していた。

 

手術後の体調

 手術後は、傷の奥が、時々、少し痛むような気がした。内側を切ったり縫ったりしてるのだから、そんなもんだろうと思っていた。腕は、普通に上にあげることができた。傷の藍色は、45日で消えていった。ほっ。

 一つ想定外だったのが、バッグを肩に掛けるのがつらかったこと。普通にしていると何ともないんだけれど、バッグを肩に掛けると、肩や胸が強く突っ張る感じがして、手術から1か月ぐらいは、バッグを両手で抱えるようにして持っていた。

 仕事には、手術4日後に復帰。土日を挟んで、月曜日は有休を使った。事務だったので、全く支障なく行えた。しばらくの間、息切れがして、職場の階段が登れなかった。これはもともとの体力かな。

 手術後すぐは、手術跡を圧迫しないよう、緊張しながら眠っていた。もともと寝相が悪く、何度も寝返りを打つのだけれど、この間は寝返りもろくに打てず。手術から1週間後、ぎっくり腰を発症。車で買い物に出掛けて、車から降りたら、痛くて直立できない状態に…。「ぐきっ」とか、きっかけがなかったのだけれど…。買い物もできないまま家に戻り、その日はカロリーメイトやレトルトのおかゆなど、家にあるもので遣り過ごした。日曜日だったので病院もやってなく、ただただ体を90度に曲げたまま、丸一日耐えました…。

 トイレに行くのも大仕事で、大変だし、情けないし。翌月曜日は、朝イチで近くの整形外科へ。注射を打ってもらったら、その場で、すーっと直立できるようになった。感動!11本打てるということだったので、その後も何日か通った。寝返りの重要性を思い知ったできごと。

 そして、精神的には・・・。とても、すっきり、さっぱり!していた。腫瘍はぐっと掴める状態だったので、その大きな不吉な塊がなくなって、本当にすっきり晴れ晴れとした気分だった。掴めるところにがんがあるのも、イヤなものだった。「死のかたまり」。触れられるのに、どうにもできない。いつ、転移してしまうかわからない。すごく怖かった。

 

翌日手術

 翌朝、寝不足で頭スッキリとはいかないけど、痛みはほとんどなくなっていた。起き上がっていても、吐き気まではしてこないけど、少し冷や汗が出る感じ。もうしばらくゆっくりしていたいな…という感じ。そして、7時半ごろかな?先生が来て、体調の確認やテープの張替えなどをしてくれた。胸の内側は溶ける糸で塗ってあるけれど、表面はテープを貼って塞いでいるので抜糸はいらないんだそう。傷は(確か)24時間で塞がるし、その上から防水フィルムを張っているので、今日からシャワーOK、テープは自然に剥がれるまでそのまま貼っておくとよい、剥がれた後も、市販の同等品を貼っておくと傷口が綺麗に治る、など説明をしてくれた。それにしても、連日、朝早くから夜まで診ていただいて、頭が下がる思いだった。次の診察は約1か月後、腫瘍の病理検査が出た後。抜糸もないし、傷の確認は要らないんだそう。

 朝ごはんも、普通に食べられた。食事はイマイチだったけれど、丸一日食べていなかったので、食べられるのが嬉しかった。その後、看護師さんからも術後の注意点などの説明を受けて、お会計の手続き。通常は昼前に退院するようだけど、私はホテルのチェックインの関係で、午後まで居させてもらった。

 吐き気などは治まっていても、立っているのは少し辛い。軽い動機がして、冷や汗が出てくる。やっぱり、体力ないからね…。たった一駅だけど、電車はやめて、病院からタクシーでホテルに向かった。

 ホテルに到着して、ほっとして、ベッドでゴロゴロ。ふー、一仕事終えた、そんな感じ。恐る恐る、鏡で手術後を見てみた。右胸全体に白くて細いテープが横にペタペタ貼ってあり、その上に透明な防水フィルムが張られている。センチネルリンパ節生検をした、腋にもテープが貼ってある。生検の染色よるものか、腋は青くなっていた。青というより、藍かな。手術箇所が右胸の右上部分だったので、腋のあたりが腫れて、切除した部分が削げた、不自然なフォルムになっている。これ、腫れが治まったら、自然な形になるのかな…と不安で悲しい気持ちになった。

 夜になると、体調も落ち着いてきたので、近くのファミレスへ。大好きな香味野菜のハンバーグ、ご褒美だ!絶食→病院食→ハンバーグ、なので、お腹がちょっとごぼごぼしたけれど、「健康でおいしく食べられる」ことのありがたみを感じた。

 翌日には、さらに体調も落ち着き、無事に飛行機で帰宅。手術跡に気を付けながら、キャリーケースもガラガラ引いて歩いた。「周囲の人は、私が乳がんの手術直後だなんて思いもしないんだろうな」と思いながら。