総合病院での受診②

 水曜日も午前中休暇を取って、A病院に。この日は、前の日とは違う先生だった。ちょっと、冷たいような、機械のような先生で、ちょっと引いた。

 最初の病院では、マンモグラフィには何も映らなかったけど、この病院のマンモグラフィには、うっすらと映っているそう。何が違うんだろう。機械の精度?胸の挟み方?

 CTは、リンパ節には転移が疑われるものは映ってない、でも、肝臓に影があり、「転移かもしれない」と言われた。肝臓が転移でなければステージ1、転移ならステージ4で、手術はできず、抗がん剤などで延命を図ることとなる、とのこと。「今まで肝臓で何か言われたことはありますか?」と聞かれ、以前受けた人間ドックで「血管腫疑い」と言われたこと、行きつけの肝臓専門医でエコーを取ったら「脂肪に見える」と言われたことを話した。はっきりさせるため、翌週、消化器内科の予約を入れられた。また診察して、検査の予約して・・・検査だけでいつまでかかるんだろう、と不安になった。

 私も乳がんの標準治療のことは調べていた。その当時、ガイドラインでは、腫瘍が3㎝未満なら温存手術で切除し、化学療法はその後に実施、3㎝以上の場合で腫瘍を小さくして温存手術を目指すなら術前化学療法、となっていた。なので、私は、肝臓が転移でなければ、早く手術をしたいと先生に言った。しかし、先生は「6か月の術前化学療法をやってもらいます」という。私は、母がすい臓がんで亡くなり、抗がん剤で苦しむのを見ていたので、絶対に抗がん剤はやりたくなかった。たとえ、死ぬとしても。それに、仕事を休んでアパートにずっと一人でいて、髪が抜け落ちていくのに、精神的に耐えられないと思った。そして…正直、生きることに疲れ果ててもいて、がんなら、このまま静かに人生を終えたい、と思っていた。なので、「手術を先にしてください。抗がん剤はやりたくありません」と伝えた。先生は、「温存はできるが、大きく形が崩れる。やりたい、やりたくないにかかわらず、抗がん剤はやってもらいます」がいうので、抗がん剤をやりたくない理由も伝えた。不安が大きくなる。まだがんのタイプもわかっていないのに、「とにかく術前化学療法をやる」のはなぜ?「形が崩れる」って、手術に自信がないの?患者がいやがる治療も無理やりやるの?「インフォームドコンセント」じゃないの?

 「抗がん剤はいやです」と抵抗を続け、取り合えず、手術予定ということで、話を進めることになった。

 「子どもを持つことは希望しますか?卵子や受精卵の凍結保存もできますが。」と聞かれた。グサッときた。「いえ、特に希望はしません。凍結してまでは…」と答えた。私は、もともと積極的に結婚したいとか子供を持ちたいと思っていなかった、いや、思えなかったので、独身できたわけだけれど…それでも、喉元を抉られたようだった。もう、私には「結婚して子供を産む」という未来はないんだな、と。

 乳腺外科は、それでおしまい。次は、歯科に回された。一通りみて、手術前に開業医でクリーニングを受けるよう指示された。手術の際に、口の中の菌から肺炎になるのを防ぐためらしい。行きつけの歯医者あてに、紹介状を出してもらう。行きつけの歯医者にも病気のことバレるのか…。

 最後に看護師から、今後の説明があった。手術する場合、4日後に退院してもらう、その後は自宅療養、ドレーンを入れるので腕がしばらく上がらなくなる、尿カテーテルも入れる、喫煙者は手術は受けられない、喫煙者は禁煙が必要、口からチューブを入れると痰が出やすくなるので、痰を出す練習をしておくこと、などなど…。

 最後の最後に、次回は入院や手術の説明をするので、必ず家族を連れてくるようにと指示された。私は独身だし、近くに親もいないので、「独身ですし、母は亡くなり、80歳近い父が車で3時間ぐらいのところに離れて住んでいるので、家族を連れてくることはできません。友人だとだめですか?」と聞いた。看護師の答えは、「それでも、とにかく家族を連れてきてください。でないと、説明も手術もできません。言った・言わないで、後でもめると困るので」。衝撃だった。独身者は、治療も受けられないの?

 なんとか気持ちを落ち着けて、職場へ向かった。これから検査で休まなければならないし、報告しなければならなかった。直属の上司、課長に報告した後、近い同僚にも、乳がんだと判明したこと、詳しいことはまだわからないが、これから精密検査のために何日か休む必要があること…。上司達は、「体を最優先して」と言ってくれた。何日かは急ぎの仕事も入っていたなかったので、病院の状況を見て、今後の相談をしていくことにした。

 その後のことは、よく覚えていない。ただ、取り乱すでもなく、淡々と仕事をこなした。たまたま仕事がらみの飲み会もあって、いつも通り笑ってもいた。努めて平常であることを装った。私がへこんだ姿を見せれば、周りに気を遣わせるとも思ったし。

 そして、家に帰って、大泣きした。嗚咽って、こういうことか…と思った。独身って、過酷だな、と…。子供を持ちたいか、とか、家族を連れてこい、とか、その日の病院でのやりとりは、がんになったこと以上に、つらかった。

 そして、こちらの都合は関係なく、検査がどんどん追加されていくこと、意向に反して術前化学療法をされそうになったこと、家族を連れてこなければ説明も手術もできない、と言われたことで、なんだか、自分が一人の人間では、なくなった気がした。「〇〇〇〇」という名前を持った、これまで40年近く生きてきた、一人の人間ではなく、ベルトコンベアーに乗せられて仕訳けられる荷物になったような気がした。人間ではなく、「患者」になったのだ、と思った。患者としても、欠陥品のような。

 本当に、神様は私が嫌いなんだろうな、と思った。

 家族連れてこない説明さえできないっていうし、元々そんなに生きる気力はなかったし、ましてや「病気と闘うぞ!」なんて思えなかったし、末期だとしたら、なるべく自然な形で死んでいきたいと思っていたので、「このまま病院行くのやめようか…」と、本気で考えた。もう疲れたな…って。